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暴動の起こる街と起こらない街

1992年に起こった「ロス・アンジェルス大暴動」の時に、私はロス・アンジェルス郊外の町に住んでいた。

当時のロス・アンジェルスの基幹産業は軍需産業だったが、冷戦終了後、軍需産業が縮小し、多数の企業が倒産したり、事業を縮小したりして、従業員が大量解雇された。

共和党政権は1980年代から新しいITやバイオ産業を育てあげてきた。しかし、従来の製造業が機械設備の能力に依存するのに対して、新産業は労働者の頭脳に大きく依存し、若い頃から長期間かけて学ぶことが要求される。

軍需産業で働いていた黒人労働者の多くは比較的高給でありながら、あまり技能を必要としていない単純作業に従事していたから、新産業で職を得ることが難しかった。軍需産業労働者を相手にしていた商店なども立ち行かなくなっていた。ちょっとしたきっかけがあれば、爆発する素地ができあがっていたのである。

ロス・アンジェルスから車で2時間ほど南下したサン・ディエゴは、軍需産業への依存度はロス・アンジェルスよりも高かったが暴動は起こらなかった。

理由は、サン・ディエゴは海が山に迫っており、多数の工場が建てられるほどの平地がなく、海軍関係の研究所が多かったため、高学歴で高い技術や知識を持つ人々の比率が極めて高かったせいだ。

 米国国防省は、この優秀で世界中の何処でも働ける人々はサン・ディエゴを離れて他所へ行き、サン・ディエゴがゴースト・タウンになりかねないと心配して警告を出していた。

サン・ディエゴでは街を挙げて、軍需産業を解雇された技術者達にITやバイオ技術で起業してもらう運動を行った。その結果、わずか3年後には冷戦時代よりも市の景気が良くなり、バンク・オブ・アメリカが「サン・ディエゴの奇跡」というレポートを発表したほどだった。

ロス・アンジェルスでは、暴動後、優秀な人々が街を離れ、市の中心部は荒廃し始めたのに、何故、サン・ディエゴでは優秀な人々が失業後も留まったのだろうか?

それはサン・ディエゴが非常に住みやすいところだったからだと思われる。
続きは次回を...
# by riskyage | 2006-05-29 16:11 | 危ない社会

日本も警察国家だった

高度成長期の日本社会は一般的に安全だったとの幻想があるが、連続殺人・大量殺人者は毎年のように現れていたし、1960年代には「草加次郎」、1970年代には「大地の牙」という電車やビルを爆弾で破壊し、多数の人々を殺傷するテロリストが登場した。連合赤軍は多数の仲間を殺戮し、無関係の一般住民を襲撃し、警官隊と銃撃戦を展開し、海外でテロを行っていた。

それでも、現在よりも犯罪が少なかったのは、日本が高度成長状態であったため、働く意欲を持っていれば仕事があったからだ。

そしてもっと重要なのは、当時は引っ越しなどで新しい住民が来ると、地域を担当する警官がその住民の家を訪問して、家族構成、勤務先や収入、子供の所属学校などの個人情報を聞きに来たことだ。住民も当然のように素直に情報を提供していた。このような習慣が廃れた今、日本に犯罪が大幅に増加したことを考えると、当時の日本は自由民主国家の体裁を装った警察国家だったから犯罪が少なかったと言えるかもしれない。

以前のような警察国家にしたら良いと思う方々もいるのではないだろうか。そんな意見に対して、白川勝彦氏の体験をご紹介したい。同氏は弁護士で自民党の衆議院議員であり、かつての国家公安委員長だった。その人がむさくるしい格好で渋谷を歩いていたことで、4人の警官に職務質問された経緯をウェブサイトに載せておられる。
http://www.liberal-shirakawa.net/idea/policestate.html

警察国家にならずに安全かつ安心な社会を維持していくのは、どうしたら良いだろうか?次回はロス・アンジェルスとサン・ディエゴの例を取り上げたい。
# by riskyage | 2006-05-27 14:12 | 危ない社会

犯罪の少ない社会と安全な社会

私は1971年の夏から1年間スペインに住んでいた。当時は、第2次世界大戦前から続くフランコ独裁体制の末期で、スペイン全体がフランコの死を待っていた。

フランコの功罪については様々な議論があるだろうが、フランコ生存中はスペイン全体が当時の日本よりも犯罪の少ない安全な国であったことは間違いない。首都マドリッドは世界でも最も清潔で美しい街の一つだったし、ソ連などとは異なり、商店には物が満ち溢れ、良質の製品も多く、物価も安く、経済的には安定していた。

しかし、殆ど言論の自由がなく、人々はフランコの名前を絶対に発音しようとしなかった。もし、どうしても発音しなければならない場合には、「フランコ総統万歳!」と付け加えていた。

たわいないハリウッド映画でも、少しでも政府批判がある場合には成人指定とされた。公安警察が威張り散らしていたし、マドリッド大学には密かに学生運動があったが、それを監視するスパイがいた。

こういう社会は「犯罪が少ない社会」には違いないが、「安全な社会」と呼べるのであろうか?市民が為政者を恐れておどおどして生きる社会は「安心感」をもたらさないだろう。

フランコ死後スペインは急速に自由化されたが、結果として犯罪が横行し、非常に危険な社会になってしまった。強力な警察力で維持された「犯罪の少ない社会」は、警察力が弱まると犯罪抑止力が働かないようだ。
# by riskyage | 2006-05-25 13:24 | 危ない社会

士道不覚悟

今回の民主党のドタバタ騒ぎを見ていると、「士道不覚悟」と言いたくなる。

司馬遼太郎の「新選組血風録」を読むと、この殺戮者集団はやたら内部の粛清をやっている。「士道不覚悟」で殺された隊員は数知れない。外部の人間には理解できない理由で合計12名もの仲間を殺した(ウイキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki)連合赤軍と似ているなあ。

新選組も連合赤軍も粛清をやらないと戦闘集団としての規律が保たれなかったのだろうが、あまりにも些細な理由で殺したために非常に陰惨な印象がある。間違いを起こしたメンバーに「外部の敵をやっつけてくれば、命は助けてやる」というのでは駄目だったんだろうか?

民主党は人の命を取る訳ではないが、前途有為な政治家がどんどん潰されるというか、自滅していく。どの場合も、政治家としての覚悟ができていないせいだろう。「松下政経塾」はどんな教育をしたんだ。

「政治は悪人の仕事」という言葉がある。日本ではだんだん政治がきれいになってきたようだが、それでも謀略の渦巻く社会だ。しかし、国際政治はもっともっと凄い謀略の世界だ。日本の政治家や官僚じゃあ、とても太刀打ちできないだろう。

少し世界の様々な社会を見てきた経験から言うと、何処の社会の人間でも、他人の寝首をかくような人間は嫌いで、「しっかりとした信条を持ち、言葉と行動が一致している人物」を尊敬し、リーダーとして求めているものだ。

日本を代表する巨大企業の部長が、「新入社員でも、僕が責任を取りますと言う奴がいれば、大きな仕事を任せます」と言っていた。責任を取るというのは、せいぜいが会社を辞めるだけで命がかかっている訳ではない。若ければやり直しはできる。覚悟もしやすい。

色々なモノを抱えているオトナは「士道不覚悟」になりやすい。小泉首相は派閥も持たず、独身で息子は成人している。だから、迷いが少なく、改革ができた。気配りおじさんはリーダーにはなれない。政治でもビジネスでも、しがらみの少ない若手を選んでやらせるべきだ。
# by riskyage | 2006-04-01 11:26 | 危機管理

粛清が始まった!

ホリエモン逮捕は小泉政権を揺るがすようなスキャンダルに発展しそうだが、景気は明らかに上向きで、今年はデフレが解消する見込みだ。

内閣府の発表したGDPのグラフを見ると、小泉政権と竹中氏の行った施策が正しかったことが証明されている。
http://www.nikkei.co.jp/keiki/gdp/

では、何故、第3次社会産業革命の功労者である竹中氏が、非難の大合唱を浴びなければならないのだろうか?これは革命が成功したから、次の粛清期に移項しているように見える。

何処の国のどんな革命でも成功後には粛清が行われる。良い例がフランス革命やソ連革命後の大粛清だが、中国の王朝が変わる易姓革命でも新王朝の建設に大きな貢献をした功臣は殆ど殺されている。

外国ではトップが功臣を殺すが、反対に、日本は功臣が革命を成功させたトップないし子孫を殺す歴史だ。仏教を日本の統治哲学として確立した聖徳太子や大化の改新の天智天皇、封建政治を確立した源頼朝の子孫は殺された。

戦国日本に新しいシステムを持ち込んで殆ど統一成功していた織田信長も殺されている。明治維新後の西南戦争や大久保利通の暗殺を見よ!

旧体制を打倒し、新体制を作り上げた功績者は、当然ながら多くの人々から恨みを買う。だから、反対者を徹底的に抹殺しないと、革命成功後は功績者こそ殺されねばならないのだろう。日本は大虐殺がきらいで、いつも少数の人身御供でことを済ませようとする。旧体制派も新体制派も大物は「両成敗」されて、革命実現にはあまり貢献しなかった小物が革命の果実を味わうのだ。

小泉首相や竹中大臣は革命を成功させたからこそ粛清されるのだ。ホリエモン事件で旧体制側の人間たちが喜んで、小泉政権批判をしているが、決して、彼らが権力を取り戻すことはないだろう。ソ連民主化の立役者ゴルバチョフは共産体制の保守派クーデターで倒されたが、権力を握ったのはエリツインだったことを思い出して頂きたい。

それでは、伊藤博文やプーチンに当たるのは誰だろうか?また、小泉純一郎、竹中平蔵は静かに引退するのだろうか?

現代の権力者は命を取られることはない。権力の座から降りても、自分が手がけて成功した革命の行方を見守りたいとは思うだろう。ゴルバチョフは自前のシンクタンク「国際社会経済・政治研究基金(通称ゴルバチョフ財団)」を設立したし、ロシア社会民主党を結成して党首になったりしている。

小泉や竹中は、辞任後は欧米のシンクタンクからひっぱりだこになるだろうし、後世の評価は高いだろうが、安倍慎三はどうだろうか?

第3次社会産業革命を推進するための中心的なツールだったIT技術そのものは、革命成功後はあまり儲かるビジネスではなくなるだろう。ライブドアや楽天や村上ファンドが球団、テレビ局、鉄道、通販会社、デパートなどの買収に乗り出したことを考えて頂きたい。

私が数年前から応援しているデータベースASPは、IT企業ではなく、アナログ系の企業を代理店にしようと努力しているが、これは全く正しい戦略だと思う。
# by riskyage | 2006-02-18 13:14 | 危険とビジネス